アテナイのアクロポリス~古代ギリシャに栄えた都市国家を象徴する神殿群

アテナイ(古代アテネ)の聖域アクロポリスは、パルテノン神殿をはじめとする美しい古代遺跡があり、ギリシャを代表する世界遺産です。

本記事ではアテナイのアクロポリスについて紹介します。

どんな建物なの?

外観の特徴

まずはアテナイのアクロポリスの外観を紹介する動画を作成しましたので、どうぞ!
【空撮風動画】アクロポリスの丘(アテネ)その2


ギリシャの首都アテネの市街地を見下ろす「アクロポリス」と呼ばれる高さ50m程の丘は、北、南、東の三方が断崖絶壁になっており、唯一、西側のみ丘の上へ続く参道があります。

この参道を登ると270m×150m程の土地に、パルテノン神殿エレクティオン神殿アテーナ―・ニーケー神殿などの大理石でできた古代遺跡があります。

また、アクロポリスのふもとには、イドロ・アティコス音楽堂ディオニソス劇場などの遺跡もあります。

アクロポリスとは?

古代ギリシアにて、ポリス」と言われる都市国家の中心として神殿が設けられた小高い丘のことをいいます。一般に、防壁で囲まれた自然の丘に神殿や砦が築かれています。

ポリスができた頃、アクロポリスには王の居城がありましたが、やがて市民が力をつけて民主政が発展し、ポリスの守護神を祭る神殿になったと考えられています。

ポリスとは?

ギリシアにて紀元前16世紀からはじまったミケーネ文明紀元前1200年頃に滅びた後、400年間の暗黒時代を経て、紀元前8世紀になると「ポリス」という都市国家が各地に形成されました。

ポリスではアクロポリスを中心に、ふもとの広場では政治や経済活動が行われ、住民が住む地域は外敵に備えた城壁で囲まれていました。

アテナイのアクロポリスで見られる代表的な古代遺跡

それではアテナイのアクロポリスで見られる代表的な遺跡を紹介します。

パルテノン神殿

パルテノン神殿はアテネのアクロポリスにある最大の神殿です。

アテナイの守護神であるギリシア神話の女神アテーナー(12神の中の知恵の女神)を祀る神殿で、女神アテーナーはパルテノス(処女の意味)の神であったことから、この神殿は「パルテノン神殿」と名付けられました。

初期のパルテノン神殿は、紀元前490~488年マラトンの戦いで勝利した後に建設が始められました。
【マラトンの戦い】
アテネに近いギリシアのアッテイカ半島東部のマラトンにてアテネを中心としたギリシアのボリス連合軍ペルシア帝国ダレイオス1世が派遣した遠征軍を迎え撃ち、連合軍が勝利した戦い。
あー坊
あー坊

この戦いで勝利したことを一刻も早くアテネ市民に伝えようとして、ある青年がマラトンからアテネまでの約49kmを一度も休まずに走りぬいたことがマラソン競技の起源として有名です。
でも、実際にこのような事実はなく、実話ではないという説が有力です。

しかし、紀元前480年ペルシア戦争にてペルシア帝国の攻撃を受け、建設途中だった初期のパルテノン神殿は完全に破壊されてしまいます。

【ペルシア戦争】
紀元前500~449年の約50年間に4回にわたって行われたペルシア帝国ギリシアの都市国家連合による戦争です。ペルシア帝国軍が陸路や海路からギリシアに侵攻しましたが、これをアテネやスパルタなどのボリス連合軍がこれを撃退しました。
先に紹介した「マラトンの戦い」は、この中の2回目の戦争にあたります。

ペルシア戦争に勝利した後、アテネでは民主政が確立して全盛期を迎えます。

そこで政権を掌握したペリクレスがパルテノン神殿の再建を命じて、彫刻家のフェイディアスを総監督として、建築家のイクティノスとカリクラテスが紀元前447年に施工を開始し、紀元前432年に完成しました。



エレクティオン神殿

パルテノン神殿の北側に建つのがエレクティオン神殿です。

公式名称は「古い祭神像の安置されたアクロポリス所在の神殿」という長い名前ですが、ここには、女神アテナ海神ポセイドン最高神ゼウス火と鍛冶の神へファイトスなどの多くの神々が祀られています。

エレクティオンはギリシャ神話によると、女神アテナと海神ポセイドンがアテネの守護神の座をかけて争った場所とされています。 3mの高低差のあるところに建っていたり、多くの神々を祀っていることから非常に複雑なデザインになっています。

中でも目を引くのは神殿南西側(パルテノン神殿側)にある6人の乙女の形をした柱のある玄関です。ただ、現在ある柱は全てレプリカで、5本は新アプロポリス博物館に、1本は大英博物館にあります。女性の形で彫られた柱を「カリュアティデス」と言い、狩猟・貞潔の女神「アルテミス」に仕えた女性神官を意味しているという説がありますが、何を表しているのかは明らかになっていません。

アテネはスパルタとの間でペロポネソス戦争(紀元前431~404年)をしましたが、「ニキアスの平和」(紀元前421~415年)と言われる一時的に休戦していた時期にこの神殿の建設が始まったと考えられています。


(パルテノン神殿側からみたエレクティオン神殿)

ぐんそう
ぐんそう

ギリシャ神話の様々な神が登場するね。ギリシャ神話について調べてみると各神殿がどんな想いで建てられたかが分かって面白いかも。

プロピュライア

アクロポリスの西側から参道を登っていくと、頂上付近にアクロポリスの聖なる入口として建設されたプロピュライアがあります。(「プロピュライア」とは一般的に“門となる建物”を指します。)

アテネのアクロポリスのプロピュライアは、何度か建てられています。
初代のプロピュライアは紀元前6世に建てられ、その後、同じ場所に紀元前510~480年に建て直されてました。しかし2代目のプロピュライアは紀元前480年ペルシア戦争で破壊されてしまいます。

現存するプロピュライアの建設が紀元前437年に始まりました。ところが、紀元前432年に工事が中断し、未完成のままとなっています。



アテーナ ー ・ニーケー神殿

プロピュライアに向かった右側に建つ小さな神殿です。

「ニーケー」とはギリシア神話に登場する勝利の女神です。この神殿は、アテネがギリシアの主要なポリスになることを祈願して紀元前424年に建設されました。

この神殿はアテネがオスマン帝国の支配下にあった1687年にヴェネチア軍との戦いのための防衛施設をアクロポリスに建設するために取り壊されてしまいました。

現在の神殿は20世紀になって再建されたものです。



現在までの経緯やエピソード

紀元前431~404年ペロポネソス戦争にてアテネがスパルタに敗れると、アテネは衰退していき、アクロポリスはアテネを支配下に置いた国々によって姿や用途が変えられていきます。

ローマ帝国時代の変更

アテネは紀元前4世紀にアレキサンダー大王のマケドニア王国の支配下になり、そして紀元前146ローマ帝国の勢力下に取り込まれます。
そしてパルテノン神殿にはローマ・ガリア戦争を描いた彫刻やローマ皇帝ネロのパルティア戦争をモチーフとした彫刻が付け加えられました。

ローマ帝国時代に付け加えらえたこれらの変更は、ローマ帝国がギリシアの後継者であることを知らしめる目的があったと言われています。

300年頃にはゲルマン民族の大移動に伴う戦闘でパルテノン神殿は放火され、木製の梁は消失してしまいました。その後、ローマ皇帝の指示で神殿は修復されましたが、元の姿ではなく、柱はヘレニズム的なデザインへ変えられました。

東ローマ帝国時代のキリスト教化

ローマ帝国時代までアテナ神殿として存在してきたパルテノン神殿ですが、392年にキリスト教がローマ帝国の国教になると、ギリシアの神々の祭祀は行われなくなり、機能が大きく転換していきます。

5世紀末には、キリスト教徒によってパルテノン神殿内にあったアテーナー・パルテノス像が持ち出されてしまいます。

6世紀になると、パルテノン神殿はマリア聖堂とされ、エレクティオン神殿はチャペルとして利用されました。信仰対象が変わることにより、神殿は大きな改築がされました。

オスマン帝国時代の破壊と文化遺産の海外への流出

1456年には、アテネはオスマン帝国に占領されます。
マリア聖堂とされていたパルテノン神殿はイスラム教のモスクに改装され、エレクティオン神殿はトルコ人司令官のハーレムとして利用されていました。

1687年大トルコ戦争にてオスマン帝国はヴェネツィア共和国と戦いますが、この時、ヴェネツィアが神殿へは攻撃してこないだろうと考えたオスマン帝国はアクロポリスを要塞化し、パルテノン神殿を弾薬庫や女や子供の避難場所として利用しました。

ところが、ヴェネツィアは神殿へ砲撃し、弾薬庫が爆発してパルテノン神殿は甚大な被害を受け、その後長い間放置されました。その間、アクロポリスから数多くの貴重な芸術品が盗まれてしまいました。

19世紀になると、イギリスのオスマン帝国駐在大使だったエルギン伯トマス・ブルースがオスマン皇帝よりアクロポリス遺跡調査の許可を得ますが、これを拡大解釈し、神殿から彫刻類をはがしてイギリスへ持ち去ってしまいました。これらの彫刻類はエルギン・マーブルといわれていますが、その後、大英博物館へ売却され、現在も所蔵されています。

1983年以降、ギリシア政府はイギリスの所有物とされていることに反対し、アテネに返却されるべきと主張していますが、未だに解決されていません。
ぐんそう
ぐんそう

大英博物館は略奪品が多い博物館としても有名で、エジプトとの間でも文化財の返還でもめているね。

ギリシアの独立と保全活動の開始

1821~1827年ギリシア独立戦争を経て、1830年にギリシアはオスマン帝国から独立します。これに伴って荒廃したアクロポリスもギリシアに返還されます。

その後、アクロポリスはギリシア政府が管理するようになりました。 19世紀後半からはアクロポリス全体の発掘作業が開始され、20世紀になると修復作業が開始されました。

2020年現在、パルテノン神殿の修復は継続中ですが、エレクティオン神殿、アテーナー・ニーケー神殿の修復は完了しています。

観に行くには

アクセス

アクロポリスまでの最短ルートは羽田空港からイスタンブールを経由してアテネ国際空港へ行き(15時間20分)、そこから地下鉄メトロライン3にてシンタグマ駅→メトロライン2に乗り換えてアクロポリ駅で下車(約1時間)するルートになります。アクロポリ駅からアクロポリスまでは徒歩で12分程になります。

チケット

入場料は20ユーロ(冬期は10ユーロ)になります。
アテネ市内の他の遺跡(古代アゴラ、ローマンアゴラ、アドリアヌスの図書館、オリンピア・ゼウス神殿、ケラミコス、アリストテレスのリュケイオン)も見るのであれば、共通チケット(30ユーロ)がお得です。
チケットはネットでも購入できますが、アクロポリス内の販売所で購入しても特に問題はありません。また、共通チケットであれば空港でも購入できます。

ただし、新アクロポリス博物館は別料金(5ユーロ)になるので、別途購入が必要になります。