その中でも最大規模のピラミッドが、この「太陽のピラミッド」です。そして、このピラミッドは頂上まで登れるピラミッドとして世界一の高さを誇ります。
本記事では、この「太陽のピラミッド」について紹介します。
Contents
どんな建物なの?
外観の特徴
太陽のピラミッドやその周囲の遺跡の場所や外見を紹介する動画を作成しましたので、どうそ! 太陽のピラミッドは、メキシコの首都メキシコシティの北東約50km、標高2,000mのメキシコ高地にあるテオティワカン遺跡の中にあります。高さは65mあり、頂上まで続く248段の階段があります。
(「太陽のピラミッド」の階段)
ピラミッドの真下には長さ120mの地下洞窟があり、その中には祭具のようなものが見つかっており、何らかの宗教的な儀式が行われていたと考えられています。
太陽のピラミッドの周辺には他に高さ47mの「月のピラミッド」や高さ20mの「ケツァルコアトルの神殿」などがありますが、テオティワカン遺跡全体では、600のピラミッドや500の工房、2000の集合住宅が見つかっており、巨大な都市であったことが伺えます。
(「月のピラミッド」の上から望む「死者の大通り」と「太陽のピラミッド」)
テオティワカンの歴史
「テオティワカン」には紀元前50年頃から人が移住し始め、その歴史は以下の4つの期に分けられます。ツァクアリ相(1~150年)
都市が形成され、「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」が建設されました。「太陽のピラミッド」は当時、最上階に木造の神殿があり、これも含めると高さは74m程度あったと推測されています。なお、当時の文書が残っていないため、建設の理由は分かっていません。
ミカトリ相(150~200年)
「死者の大通り」が建設されました。トラミモルパ相(200~350年)
交通、水利、祭祀、住宅、産業などの都市に必要なシステムが整備されました。ショロパン相(350~650年)
テオティワカンはこの時期に最も栄えました。人口は10~20万人に達して世界有数の大都市に発展し、1,000km離れたマヤ地域にも影響を与えました。テオティワカンには黒曜石の加工場が多数見つかっており、黒曜石の交易を独占して栄えたと考えられています。
8世紀にテオティワカンは滅亡しますが、原因は分かっていません。
アステカ人による発見
12世紀頃にこの地にやってきたアステカ人が廃墟になっていた都市を発見し、規模の大きさから人による建造物とは思えず、ナワトル語(メキシコの公用語の1つ)で「神々の都市」という意味の「テオティワカン」と名付けました。「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」「死者の大通り」についても、もともとの名称は不明で、アステカ人によって名付けられたものです。
アステカ人はテオティワカンを崇拝の対象と、アステカ王国の王も毎年この地を巡礼したとのことです。
観に行くには
アクセス
テオティワカンに行く最短ルートは成田空港からメキシコシティ空港まで行き(12時間35分)、地下鉄もしくはタクシーにて市内の北バスターミナルまで移動(10分)し、そこからバスにてテオティワカン遺跡前まで行く(1時間程度)ルートになります。チケットはテオティワカン遺跡入場門付近で購入します。入場料は75ペソ(約400円)です。