古代エジプトのピラミッド建造の歴史

 エジプト初のピラミッドは、ジョセル王によってサッカラに建造された階段ピラミッドでした。その後、ピラミッドは四角錘の形状をとるようになるとともに大型化します。ただ、現在でも当時の形をとどめたピラミッドが建造された期間は長い古代エジプトの歴史の中でも限られた期間になります。ピラミッドの建造はどのような時代背景ではじまり、そして、衰退していったのでしょうか?

ピラミッドが建造された時代は?

 古代エジプトの年表と主なピラミッドが建造された時期を以下に示します。

 ピラミッドは古王国時代の初期から建造されはじめました。その後、中王国時代までピラミッドの建造はされますが、現在でも当時の形をとどめたピラミッドは古王国時代中期のメンカフラー王のピラミッドまでです。現在確認されているピラミッドでは、ケンジェル王のピラミッドが最後のものになりますが、以降の新王国時代には、王の墓としてピラミッドを建造されることがなくなり、王家の谷のように大規模な岩窟墓に変わっていきました。

ピラミッドはどこに建造されたの?

 主なピラミッドが建造された場所を以下に示します。

 上の地図のように、ピラミッドが建造された場所はナイル川流域に密集しています。これは、ピラミッド建造に必要な石灰岩等の材料の入手のしやすさや、運びやすさ(ナイル川を舟で運んだと考えられています)が理由と考えられます。

ピラミッドの大きさはどのように変わっていったの?

 主なピラミッドの大きさを建造順に比較した図を以下に示します。

古王国時代(前期~中期)
古王国時代(中期) ギザの3大ピラミッド
古王国時代(中期~後期)
中王国時代

 ピラミッドは古王国時代の前期から中期にかけて高さ100メートル超まで巨大化していきました。そしてギザの3大ピラミッドをピークに、以降のピラミッドは高さ50~70メートル程度のものが建造されていきました。また、ギザの3大ピラミッドから後の時代のピラミッドは現在では崩壊してしまっており、当時の形をとどめたものがありません。建造技術に関しては、ギザの3大ピラミッドの時代に完成したようですが、それ以降、ピラミッド建造が衰退していった様子がうかがえます。

 それでは、ピラミッド建造の歴史を各時代ごとに詳しく確認していきたいと思います。

古王国時代 前期(BC2686~2589)

古代エジプト初のピラミッド建造

 ジュセル王の時代に国の仕組みが整い、王の力が強大になりました。そこで、従来のマスタバ墓(高さ10メートル程度までの直方体の墓)ではなく、より王の権威を示す巨大なピラミッドが建造されるようになりました。この時建造されたのは、従来のマスタバ墓を積み重ねていった「階段ピラミッド」でした。

 このピラミッドは、ギザから南に約10キロメートルの位置にあるサッカラにあり、「ジョセル王のピラミッド」ともいわれます。サッカラは...

屈折ピラミッドを経て四角錘のピラミッドへ

 スネフェル王の時代、さらに王の力が強大になっていきました。様々な試みを経て、形が整った四角錘の大きなピラミッドが建造するためのノウハウが蓄積されていきました。

 スネフェル王は生涯で5つのピラミッドを建造したと言われていますが、3つ目のピラミッド建造では、先代のフニ王が建造した階段状のピラミッドに対して、階段を積み増すとともに、がれきを詰めてその上に化粧板をのせた四角錘のピラミッドとして完成させました。これが「真正ピラミッド」(メイドゥームのピラミッド)です。しかし、母体となる階段状ピラミッドの外壁とがれきとの接合が弱かったせいか、完成後間もなく、後に追加した外壁が崩れ落ち、現在では内部の階段状ピラミッドがむき出しの状態になっています。

 次に、スネフェル王は「屈折ピラミッド」を建造します。このピラミッドは下部の傾斜角度が54°、上部が43°と途中で傾斜が緩くなるという特徴的な形状のピラミッドです。これは、同時期に同じ工法で建造された真正ピラミッドが完成後に崩壊したことを受け、このままの傾斜角度で建造を続けると崩壊する可能性があることが分かり、途中から工法を変更したためと言われています。

 最後にスネフェル王は、下部から傾斜角度を緩くした四角錘の「赤いピラミッド」を建造します。これが一般的に知られている四角錘の形状を持った初のピラミッドでした。その高さは104メートルと、クフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッドに次いで、3番目の高さを誇っています。ここで、ピラミッドを建造する技術が確立されたと言えます。

古王国時代 中~後期(BC2598~2185)

ギザの3大ピラミッド~ピラミッド建造最盛期に

 この時代、スネフェル王の息子のクフ王により史上最大のピラミッドが建造され、ピラミッド建造のピークを迎えます。クフ王のピラミッドは27年の歳月をかけ、1個平均2.5トンのブロックが約300万個使われたとされ、途方もない規模で建造されました。
 その後、クフ王の息子であるカフラー王とその子メンカフラー王のピラミッドも併設され、これらはギザの3大ピラミッドとして、最も有名なピラミッドとなっています。

 クフ王以降の100年間は次々にピラミッドが建造され、「ピラミッドの時代」とも呼ばれます。この頃までのピラミッドは、一般的に葬祭殿や神殿などがセットのピラミッド・コンプレックスという形態で建造されており、以下の目的を持っていたと考えられています。

・王の墓
・太陽神ラーを祭る
・王の力を示す

 また、古王国時代にピラミッド建造が盛んだった理由の1つとして、この地域が他の地域との間に砂漠という天然の障壁があるため、国外からの侵略に脅かされることがなく、比較的平和な時代であったことがあげられます。当時の記録の解読が進み、ピラミッド建造は、農閑期の農民を雇うための公共事業だったのではという説があります。平和だったからこそ、外敵との争いがなく、巨額の予算をピラミッド建造に注ぎ込めたのでしょう。周囲に外部からの侵入を妨げるものがなく、民族間の争いが絶えなかったメソポタミアとは対照的であったといえます。

神官の権力が強大化し、ピラミッド建造が衰退

 古代エジプトでは、太陽神ラーが信仰されていましたが、次第に神を祭る行事を取り仕切る神官が権力を持つようになっていきます。王はラーの子で、神の方が上の存在であり、その神に仕える神官の力が強大なものになっていったのです。そして、ピラミッドとは別の場所にオベリスクという石の高い塔を建て、太陽神ラーを祭る神殿がピラミッドよりも大きな規模で建造されるようになりました。たとえば、ネウセルラー王はピラミッドを建造しましたが、これとは別に建造した太陽の神殿の方が規模が大きいものでした。太陽の神殿はこれまでのピラミッド・コンプレックスと似た作りになっていますが、ピラミッドがあるべき位置にオベリスクが鎮座する形になっています。
 人々はピラミッドよりも祭儀の場所の方を重要視するようになり、ピラミッドは王の権威を示すものではなく、王の墓と葬儀だけの場所になりました。その結果、ピラミッドの規模は縮小し、また、石材の積み方が悪く、崩れ易いものになってしまいました。

中王国時代(BC2040~1782)

建造再開するも、かつての栄華は取り戻せず

 古王国時代はメンフィスを中心として長期間に渡る安定的な統治を続けていましたが、次第に地方の貴族が勢力を拡大し、王は統制能力を失い、古王国時代は崩壊します。その後の140年間の内乱期(第1中間期)を経て、メンチュヘテプ2世による再統一がされ、中王国時代が始まります。
 その後、王となったアメネムハト1世は、古王国初期の盤石な王権を理想とし、中央集権体制の確立に取り組みました。その一環として、ギザのピラミッドを模倣したピラミッドの建造を再開しました。
 中王国時代のピラミッドは、規模こそ小さいですが、古王国時代のものよりも複雑な構造をとっていました。その理由は盗掘を避けるためです。ピラミッド内に数多くの通路や階段、部屋がつくられました。ただ、古王国時代のように1大国家プロジェクトのような規模の事業ではなく、より安価な予算で建造することが重視されていました。そのため、日干しレンガでピラミッドを建造し、その上に白い石灰岩で化粧仕上げをする手法がとられました。ところが、外壁の石灰岩が後の時代に盗まれてしまい、強度の弱い日干しレンガの部分がむき出しになり、多くのピラミッドが崩壊してしまいました。

第2中間期(BC1782~1570)

 国内のあちこちに独立政権が生まれ、王朝の統率力が弱体化し、再びエジプトは混乱期に入ります。この時代を「第2中間期」といいます。この時代にもケンジェル王によりピラミッドが建造されました。このピラミッドは現在確認されている最後のピラミッドとされています。ただ、ピラミッド建造に用いられた技術は中王国時代のものと同様で、外壁の石灰岩が盗まれてしまい、日干しレンガで造られたピラミッドは崩壊し、現代に当時の姿は残っていません。

新王国時代(BC1570~1070)

盗掘防止のため、王墓は岩窟墓に

 イアフメス1世が第2中間期後期に異民族のヒクソスが築いた王朝を滅ぼして、エジプトを再統一し、「新王国時代」が始まります。新王国時代は古代エジプトが最も栄えた時代であり、この時代の建造物が今日でも数多く残されています。
 ただ、この時代になると、墓荒らしによる盗難が相次いだことから、ピラミッドを建造するのではなく、王の墓を隠すために谷を掘って作る岩窟墓が作られるようになりました。テーベ(現在のルクソール)のナイル川西岸にある岩窟墓群は「王家の谷」という名で有名です。

まとめ

 古代エジプトにおけるピラミッド建造の歴史をみてきました。
 古王国時代の初期に王の権威の強さを示す王墓として、ジョセル王により神を祀る神殿と一緒に階段状のピラミッドが建造されました。その後、スネフェル王によりピラミッドは四角錘の形状へ発展し、古王国時代中期のクフ王の時代にその大きさがピークに達しました。やがて、神官の権力が強くなり、王墓と神殿が分離して建造されるようになりました。そして、王墓としてのピラミッド建造は衰退していきます。また、盗掘という問題に対処するため、新王国時代には、王墓は岩窟墓という形式で建造されるようになり、ピラミッドは建造されなくなりました。