ジグラット~メソポタミア初期の階段型ピラミッド

 これは、イラクのジーカール県ナーシリーヤ近郊にある、「エ・テメン・ニグル」という名の巨大な階段型のピラミッドです。「ウルのジッグラト」とも呼ばれています。

 横が64メートル、縦が46メートル、そして高さが20メートル程あります。現在では上層部は壊れてしまっており、完成当時の高さは30メートルあったと考えられています。 日干しレンガを積み上げて作られており、 実際に間近で見ると、巨石を積み上げて建造されたエジプトのピラミッドとは全く趣の違う建造物に見えます。

いつ、 誰が、なぜ建てたの?

 エ・テメン・ニグルは、紀元前2,100年頃、当時この地域にあった都市国家“ウル”の王、ウル・ナンムにより、ウルの守護神である月神ナンナへ捧げる神殿として建築が開始されました。そして、ウル・ナンムの息子のシュルギ王の代に竣工しました。当時は11メートルの高さの最下層までが建造され、その後、紀元前6世紀に新バビロニア帝国の最後の王、ナボニドゥスにより再建築され、2、3層目が継ぎ足されました。

 現在、ウルのあった地域は、乾燥した平野で周囲には何もありませんが、当時はユーフラテス川沿いのにぎやかな港町で、運河が縦横に走り、たくさんの商船が行き交っていたと考えられています。そちて、倉庫や織物工場で溢れる街の中心に、エ・テメン・ニグルは建造されました。

建てられた背景をもう少し詳しく

 現在のイラクのチグリス川とユーフラテス川の間の地域はメソポタミアと言われていました。ここに栄えたメソポタミア文明が有名ですが、メソポタミア文明の初期(紀元前3,500年~紀元前2,000年)に繁栄したのが「シュメール文明」です。 エ・テメン・ニグルはシュメール文明を代表する建造物の1つです。

 紀元前3,000年頃からメソポタミア地域の南部(南メソポタミア)にシュメール人が住みつきました。南メソポタミアは、降水量が少ないため、水を求める人々がチグリス川、ユーフラテス川流域に人々が集中し、ウル、ウルク、ラガシュなど20個ほどの都市国家が建設されました。

 シュメール人は、それぞれの都市に守護神がいると信じており、各都市国家の中心部に「ジッグラト」(“ジッグラト”は「高い所」を意味する言葉です)と呼ばれる神殿を建設しました。そして、都市国家を治める王は、神またはその代理人として権力をふるう、神権政治を行っていました。
ジグラットは王の権力の大きさも示す象徴的な建造物であり、都市国家の中心的なシンボルとして、存在していたのですね。
 エ・テメン・ニグルもこうして建設されたジッグラットの一つです。 現在、 エ・テメン・ニグル の最上階は壊れてしまっていますが、そこには神殿があったと考えられています。 また、イランのチョガ・ザンビールのジグラットに次いで保存状態のよいものとしても知られています。

 ちなみに「エ・テメン・ニグル」とは、シュメール語で「恐怖をつくる基礎を持つ家」という意味だそうです。当時、都市国家間の争いが絶えなかったせいか、王による強権政治が行われていたのか、あまり穏やかでない環境下で建設されたのかもしれませんね。

 南メソポタミアでは、当時、小麦を生産しており、雨季が始まる12月に種をまき、5月に収穫していました。ところが、収穫時期とチグリス川、ユーフラテス川が氾濫する時期が重なってしまうため、チグリス川、ユーフラテス川に堤防を造り、灌漑用水を引くなどの組織的な灌漑農業がおこなわれました。これにより、測量の技術が向上し、巨大なジグラット建設にも役立てられたのでしょう。

現在の状況

 エ・テメン・ニグルは砂に埋もれていたため、長らくその存在が知られていませんでした。19世紀に2、3層目が、第1次世界大戦後に1層目(最下層)がイギリスの考古学者により発掘されました。

 1985年には当時のイラクのサダム・フセイン大統領により、最下層の外装と階段が改築されました。イギリス人により発掘されましたが、自国の文化財が不当に海外に持ち出されている現状を憂い、自分達でこれを守らなければならないという意識が強かったのかもしれませんね。イスラム系の大統領として、初めて文化財の補修に努めたのがサダム・フセインでした。
 1990年代には、戦争による被害を受けました。エ・テメン・ニグルの近隣にイラクの空軍基地があり、湾岸戦争(1990~1991年)で基地が爆撃を受けた際、エ・テメン・ニグルも被弾しました。コンクリート製の保護層にひびが入り、古代のレンガに水が染み込むことによる、侵食が懸念されています。基地までは800メートル程度離れています。この重要な遺跡への被害は避けられなかったのでしょうか?
 その後、続いたイラク戦争(2003~2010年)後、サバム・フセインは処刑され、イラクの文化財保護事業は中断されてしまい、エ・テメン・ニグルは保全、修復の作業がされず放置され、さらなる荒廃が懸念されています。

どうやって行くの?

 残念ながら、2019年現在、イラク戦争後の混乱により治安が悪く、南メソポタミア地域は外務省により渡航中止勧告がされており、私たちが エ・テメン・ニグルを見に行くことは困難な状況です。
 現地に住む方々が安全に暮らせるようになることが何よりも大事ですが、人類共通の財産であるこの遺跡を、私たちも自由に見に行けるよう、環境が改善されることを期待します。