私はスパイ映画が好きですが、「ボーン・アイデンティティ」や「ミッション・インポッシブル」等、パリが舞台になると必ずと言っていいほどよく登場する建物ですね。
でも、正直なところ、いつ誰が何のために建てたものなのかよく知りません。
本記事ではこの凱旋門について調べたことを紹介します。
Contents
どんな建物なの?
凱旋門とは?
本記事で紹介するのはフランスの首都パリのシャルル・ド・ゴール広場にある新古典主義の様式で作られた高さ50mの凱旋門です。正式な名称は「エトワール凱旋門」といいます。
この凱旋門のある広場は、凱旋門を起点に12本の通りが放射状に延びていて、星のような形に見えることから、かつては「エトワール広場(星の広場)」と呼ばれていました。
凱旋門とは、戦争で勝利した将軍や国家元帥、軍隊が凱旋式を行うために作られた門です。一般的に凱旋門と言えば、このエトワール凱旋門を指しますが、古くは古代ローマ時代から数多くの凱旋門が建てられました。
ぐんそう
凱旋門は数多くありますが、その多くは壊されたり他の建物の建材として使われたりしたため、現在も完全な形として残っているものは少ないです。
誰が作ったの?
1805年にナポレオン・ボナパルト皇帝がアウステルリッツの戦いでロシア・オーストリア連合軍を破りました。エトワール凱旋門はこれを記念し、1806年にナポレオンの命によって建設が始まりました。ところが建設中に様々な政治的変化があり、凱旋門が完成したのは30年後の1836年でした。既にナポレオンは亡くなっており、生前にこの門をくぐることはできませんでした。
ナポレオンがこの門をくぐることができたのは、1840年にパリに改葬された時でした。
ナポレオン生誕からパリに改葬されるまでの簡単な年表を以下に示します。
1769年 | ナポレオンがコルシカ島にて誕生 |
1789年 | フランス革命にて絶対王政から立憲君主制へ |
1792年 | フランス革命戦争にて立憲君主制から共和制へ |
1796年 | イタリア方面軍の司令官に任命されたナポレオンがイタリア遠征にてオーストリアに勝利 |
1798年 | ナポレオン、エジプト遠征にてオスマン軍に勝利してカイロに入城 |
1799年 | ナポレオンがエジプトから帰国し、ブリュメール18日のクーデターで政権を握る(軍事独裁政権の樹立) |
1804年 | ナポレオンがフランス皇帝に即位 |
1805年 | トラファルガーの海戦でネルソン提督率いるイギリス海軍に敗北し、イギリス本土上陸に失敗 |
1805年 | アウステルリッツの戦いでロシア・オーストリア連合軍に勝利 →これを記念して凱旋門の建造が始まる |
1806年 | ライン同盟成立 → 神聖ローマ帝国の消滅 |
1806年 | イエナの戦いでプロイセン軍に勝利し、ベルリンに入城 |
1807年 | フリーラントの戦いでロシア軍に勝利 |
1812年 | ロシア遠征にて大敗 → ここを境にナポレオンは没落していきます |
1813年 | ライプツィヒの戦いで反ナポレオン連合軍(プロイセン、オーストリア、ロシア、スウェーデン)に敗北 |
1814年 | ヨーロッパ各国に攻め込まれてパリが陥落してナポレオンはエルバ島に島流しとなり、復興王政が始まる |
1815年 | ナポレオンはエルバ島を脱出してフランス皇帝に返り咲くが、ワーテルローの戦いでイギリスに敗北し、セントヘレナ島へ島流し(百日天下) |
1821年 | ナポレオンがセントヘレナ島にて病死 |
1830年 | 七月革命にて復興王政が倒され、立憲君主制が成立 アメリカの自由の女神像のモデルとも言われるドラクロアによる『民衆を率いる自由の女神』は七月革命を描いたものです。 |
1836年 | 凱旋門が完成 |
1840年 | ナポレオンがパリに改葬(この際、ナポレオンの棺が完成した凱旋門をくぐる) |
あー坊
こんな激動の時代に凱旋門が建造されたんだね。
凱旋門の周囲に飾られたレリーフ
ナポレオンを凱旋するために作られた門だけに、エトワール凱旋門の壁面にはナポレオンをモチーフにしたレリーフが多数あります。『1792年の義勇軍の出陣(ラ・マルセイエーズ)』リュード作
(シャンゼリゼ通りから見て右側のレリーフ)
フランス革命戦争にてマルセイユから集まった義勇兵が出陣する様を表した作品
『1810年の勝利』コクトー作
(シャンゼリゼ通りから見て左側のレリーフ)
勝利の女神がナポレオンに月桂樹を授ける様を表した作品
『1814年抵抗』
(グランド=アルメ通りからみて右側のレリーフ)
『1815年平和』
(グランド=アルメ通りからみて左側のレリーフ)
ナポレオン没後のエトワール凱旋門
ナポレオンが凱旋する目的で建造されたエトワール凱旋門ですが、その後、1885年のヴィクトル・ユーゴー国葬における遺体安置や1919年7月14日の第一次世界大戦の同盟国の勝利のパレードなど、国家の歴史的な行事を行う場所として使われました。エトワール凱旋門の下には、第一次世界大戦の「無名戦士の墓」や、多くの祈念のプレートが埋め込まれ、フランスの為に亡くなった兵士たちを祈念しています。
1923年以降、凱旋門の真下にある無名戦士の墓に毎日18時30分に点火され、追悼の炎が燈されています。
ここはフランスを訪問した各国首脳が献花することで有名です。
エトワール凱旋門への行き方
アクセス
エトワール凱旋門の最寄り駅は地下鉄のシャルル・ド・ゴール・エトワール駅になります。展望台へ登る
エトワール凱旋門の周囲はロータリーになっており、横断歩道がありません。そのため、入場する場合は、シャンゼリゼ通り等の地下入口から地下道を通ります。地下道を100m程進むとチケット売り場があります。入場料は26歳以上の場合、12ユーロ、18歳未満は無料、18~25歳は9ユーロです。なお、毎月第一日曜日は無料になります。
凱旋門の屋上は展望台になっており、250段程のらせん階段を昇ります。
(展望台からの景色)
はーちん
周囲に高い建物がないので見晴らしがいいね。
遠くにはエッフェル塔も見えてるわ。